小原On-Line

小原克博: 2006年8月アーカイブ

060831  8月28日、「しが廃棄物問題・住民ネットワーク」の代表として、嘉田・滋賀県知事と会見しました。
 このことはNHKの夕方のニュースで放送され、また、いくつかの新聞での紹介されたようです。とりあえず、ウェブ上で見つかった関連記事を下につけておきます。

 「もったいない」をキャッチフレーズに終わらせないで、内実のある循環型社会の礎にしていく必要があります。しかし、その道のりは平坦なものではありません。ねばり強く取り組んでいく必要のあることを、今回の知事との会見でも感じさせられました。

『京都新聞』8月29日記事
知事に凍結具体策申し入れ
市民団体、大津・廃棄物焼却施設計画で

 滋賀県が大津市栗原に建設を計画している廃棄物焼却施設について、建設に反対する市民団体「しが廃棄物問題・住民ネットワーク」(小原克博代表)のメンバー7人が28日、建設凍結を掲げる嘉田由紀子知事と面会し、住民に対して凍結への具体策を示すよう申し入れた。
 小原代表が「適切な時期に住民と直接対話し、凍結に向けたプロセスを示してほしい」と求めるとともに、「知事の凍結方針は全面的に応援する。手伝いたい」と嘉田知事を激励した。
 嘉田知事は「新幹線新駅問題などが落ち着いたら対話の場を持ちたい」と答え、廃棄物行政の在り方について「ごみゼロ社会に向け、県民も気運を高めてほしい。県民から直接、(関連の)予算要求があっても良い」と述べた、という。

『毎日新聞』8月29日記事
もったいない県政:攻防 ごみ焼却施設計画 住民団体、凍結へ支持姿勢伝える /滋賀
◇旧志賀町住民団体、県庁で知事と会談

 嘉田由紀子知事が凍結の方針を掲げている大規模ごみ焼却施設の建設予定地・旧志賀町(現大津市)の住民団体「しが廃棄物問題・住民ネットワーク」のメンバーなど7人が28日、大津市の県庁を訪れ、嘉田知事と会談した。
 この日は住民側から特に要望は行わず、知事に支持姿勢を伝えた。その上で、建設凍結の実現に向け、住民側から具体的にどのような助力ができるかを尋ねた。住民側によると、嘉田知事は、循環型社会構築に向けた啓発活動や、自治会単位でのごみ減量の実践と、それに伴うデータ収集などの方法を提案したという。
 住民側はまた、凍結に向けた具体的なプロセスについても質問したが、知事は「まずはこれまでの報告書の内容などを再検討する作業部会を作る必要がある」と回答したという。

 歯が痛くなったので、軽い気持ちで歯医者に行ったら、親知らずに虫歯あるとのこと。心の準備もないままに親知らずを抜かれました。
 十年以上ぶりに歯を抜きましたが、麻酔技術が向上したのか、抜くときには、ほとんど痛みがありませんでした。歯科医の腕がよかったのも大きいと思います。
 ただし痛みはなくとも、血は大量に出てきますので、しばらく真綿をかみしめ続けていました。麻酔が切れてくると、少し痛み始めましたが、今のところ、ほっぺたが腫れ上がるような痛みはありません。このまま順調に推移していくことを祈っている最中です。(^_^;)
 歯科医によると、腫れるかどうかは、まさに人によるとのこと。何の問題もない人もいれば、一週間近く腫れが引かない人もいるとのことでした。

 歯は普段から大事にしておきましょう!

 世界宗教者平和会議の最終日に参加してきました。
 最後の全体会議では、7、8名の人が比較的短めのスピーチを次々としていったのですが、けっこう楽しめました。中でも一番興味深かったのは、ユダヤ教のラビとパレスチナの代表者の意見が真っ向からぶつかったことでした。
 最初にユダヤ教のラビが、モーセが十戒を授かるときに神から履き物を脱ぐようにと言われたエピソードを紹介しました。つまり、履き物を脱ぐことによって、人は熱い砂の感触や痛みを感じるように、人の痛みを感じることが大切だ、ということでした。
 そこまではよかったのですが、そのあと、イスラエルは神によって与えられた国であることを語り、また、よりにもよって、コーランの中にもそれは書かれていると主張するに至っては、これは内心煮えくりかえっているムスリム参加者がたくさんいるだろうな、と思いました。

 そういう心配をしながら、その何人か後にパレスチナ代表の人のスピーチが始まり、怒り心頭のメッセージを聞くことになりました。コーランの引用が間違っている、という指摘があったのは言うまでもありませんが、イスラエルによる犠牲者のこと、分離壁がどれほどパレスチナ人に対する「暴力」となっているか、ということを熱く語りました。

 最後には、やはりエルサレム在住のキリスト教指導者のメッセージがあり、何とか両者を調停しようと努力していました。
 もちろん、簡単に調停することなどできませんが、ユダヤ教ラビとパレスチナ・ムスリムとの激しい衝突を見ることができたのは、(日本の)聴衆にとってはよい経験になったに違いないと思います。

 欲を言えば、こうした緊張感あるスピーチを初日にして欲しかったです。そうすれば、抽象的な平和論ではなく、具体的な葛藤や衝突をどのように引き受けていくべきかを、もう少し突っ込んで世界の宗教者は考えることができたと思います。具体性を欠く、緊張感のない平和論ほど退屈なものはありませんから。

 閉会式は、少し長ったらしかったですが、沖縄の民謡・舞踊などを織り交ぜながら、工夫を凝らしていました。

 会期中、わたしは他の研究会や会合などに参加したり、かなりハードスケジュールの中での参加でしたが、海外の宗教指導者と出会い、話をすることができたのは貴重な経験となりました。

 全体を通じての感想については、後日触れることにいたします。

 マスコミ等でも報じられていますが、8月26日~29日、京都国際会館で世界宗教者平和会議の第8回世界大会が開催されています。昨日、オープニング・セレモニーから晩のレセプションまですべてのプログラムに参加しました。
 海外100カ国以上から500名もの参加者がいるとあって、すさまじい賑わいです。いったい、どれくらいのお金がかかっているのだろうか、とついつい気になってしまいます。(^_^;)
 8月22日『朝日新聞』の記事が記しているように、参加者が「命がけ」かどうかは知りませんが、かなり徹底した秘密主義で、どのセッションで誰が話すのかも、そのときにならないとわかりません。
 開会式では、突然、小泉首相が現れました。目の前で見るのは初めてでした。5分くらい話したと思います。イスラエルを訪問した際に、中東紛争の解決の一助として、日本の資金援助による「平和の回廊」計画を提案したことなどを話していました。
 私も最初は物珍しい気持ちで、小泉首相を眺めていたのですが、じきに、この場にそぐわない招待客であると思うに至りました。靖国問題で、まさに国家と宗教の関係が複雑に問われいるさなかで、首相を招くというのはタイミングとしては決してよくないと思います。国家元首や政治家がその場にふさわしくないとは思いません。しかし、韓国や中国からの代表団も多数いるなかでの小泉首相登場は、繊細さを欠いているのではないかと思いました。
 と私は感じたのですが、ほとんどの人はナマの小泉首相登場とあって、やんややんやの大喝采でした。ちなみに、開会式の様子は、世界宗教者平和会議のサイトから動画で見ることができます。


 全体会議の一つには、世界的に有名なカトリック神学者のハンス・キュンクが登壇していました。彼はよく日本に来ています。

 多くの人があたりさわりのない話をする中で、中東における核兵器・核開発の問題など、かなり挑発的かつ現実的な話をしたのが、ヨルダンのハッサン皇太子でした。彼は、ヨルダンの王立宗教間対話研究所の所長であり、そこと同志社の神学部およびCISMORは学術交流協定を結んでいます。

 話はあまりおもしろくなかったのですが、私が見て感激したのは、ハタミ・前イラン大統領。いや~、あのハタミを目の前で見れるとは思いませんでした。実は、昼食の時に、通り過ぎようとするハタミに迫って挨拶をし、握手を交わしました(ついでに名刺も渡しておきました)。完全にミーハー根性丸出しです。

 全体会議にしても、研究部会にしても、焦点が絞り切れていないので、私が期待するような次元での突っ込んだ議論はなかなかなりませんが、それでも、実にたくさんの人が世界中から来ているというだけで楽しいものです。かなりの大物もたくさん参加しているようですが、誰が誰なのかわからないほどの混雑ぶりです。

 不満に思う点などもありますが、それはまた後日紹介したいと思います。

 大貫隆ほか編『一神教とは何か――公共哲学からの問い』(東京大学出版会)書評を掲載しました。かなりごつい本です。そして、お値段もそれなりにご立派!(5985円)
 これだけ高額の本は、さすがに誰にでも勧めるわけにはいきませんが、そこそこ読み応えがあります。「そこそこ」というのは、読者の関心の程度にもよりますが、執筆されている内容すべてがおもしろいというわけではないからです。しかし、大貫氏の論考をはじめ、興味深いものはいくつか(いくつも?)あります。関心のある方は、書評をご覧になって、実際の本を手にされるとよいと思います。

 それにしても、これだけ値の張る本を堂々と出せる東大出版会はご立派です(嫌みじゃないですよ!)。

書評『一神教とは何か――公共哲学からの問い』

060823a 伊勢志摩方面へ出かけてきました。行きは山道を通り、帰りは海岸線のパール・ロードを通りました。
 右の写真は、ちょっと曇っていますが、パール・ロードにある鳥羽展望台からの風景です。本当かどうかは知りませんが、晴れているときには富士山まで見える!とのことです。

060823b  伊勢志摩の方面の醍醐味の一つは海産物がおいしいこと。伊勢エビは一匹最低でも3000円はするので、なかなか手が出ません。正直言うと、今まで伊勢エビのかけらを食べたことはあっても、丸ごと一匹を食べたことはありません。将来の楽しみにとっています。
 手の届く範囲で食べたものの一つが左の海鮮丼。いろいろな海産物が入っていますが、一つひとつが新鮮でおいしいです。

060823c  右の写真は伊勢の海から持ち帰ったヤドカリ。よく見ると大小合わせて4匹いることがわかります。水棲のホンヤドカリです。さらによく観察していただくと、一番上のヤドカリは、ちょうど貝殻を脱ぎ捨ててハダカ状態になっていることがわかるかと思います。ヤドカリは引っ越し好きで、比較的頻繁に貝殻の移動をします。
 ヤドカリは冬場の水温調整さえきちんとしておけば長生きする、比較的飼いやすい生き物です。ただし、初心者にはホンヤドカリより飼いやすいオカヤドカリがおすすめです。

060818a おサルに、とうもろこしの大半は収奪されてしまいましたが、その後、生き残りが右のように無事成長しました。一本とって食べましたが、甘くておいしかったです。
 右写真の奥にあるのがコンポスト容器。これで、生ゴミ・雑草などから土を作ります。野菜作りの命は土です。できるだけ化学肥料には頼らないようにしています。

 トマトは今年は豊作です。ほぼ毎日のように食べる分を収穫することができます。なぜか、キュウリはうまくいきませんでした。その他のものについては、追々紹介していきたいと思います。

060818b  左の写真は、ブルーベリーです。
 まだ木が大きくないので、できる実の量も多くはないのですが、30~40個くらいの実は採れそうです。

060816a 小泉首相の靖国参拝に対抗して(?)、オタクの聖地・日本橋に参拝してきました。日本橋の電気街は本当に久しぶりで、その変化の様に驚きました。
 基本は電気街であることに違いないのですが、かつてあったパーツショップやジャンク屋は影を潜め、その代わりに、フィギュアやDVDなどの映像系のショップが目立ちました。日本橋も、確実に秋葉原の変化に対応していると感じました。
 プラモ屋、パーツショップなどでオタクな会話を耳にすると、妙に安心感を覚えるのは、私もオタクな人間である証拠なのでしょう。(^_^;)
 フィギュアのショップでは、いきなり入り口付近に、明らかに公序良俗に反する品々がずらりと陳列されており、度肝を抜かれました。これらは私の趣味ではありませんが、日本のサブカルチャーの奥深さ(?)をかいま見た思いがしました。

060816b  今回の目当ての一つは、ガンプラ・ファンの聖地とも言える「Gundam's」を参拝することでした。左の写真の建物がそれです。ほぼ実物大のガンダムが壁に描かれています。上の方は張りぼてで、実際のショップは2階建てなのですが、実に品揃え豊富で感動しました。
 正直言って、プラモをのんびり作る時間は近年ありません。しかし、プラモの劇的な進化を見るのは大いなる喜びです。

 この「Gundam's」には、韓国人や中国人の方々の姿も見えました。彼ら・彼女らも聖地の参拝者であるわけですが、やはり隣国の人たちと興味や喜びを共有できる場こそ聖地にふさわしいのであって、靖国はその点、オタクの聖地・日本橋に負けているな、と思いました。

Kyoto060812m 小泉首相、ついに8月15日の靖国参拝を実行しました。心の問題、公約の実現、非戦の誓い、等々、どのように説明しようとも、東アジアに対しては挑発的な行為としてしか映らないでしょう。そういうことを気にすること自体が間違っている、という人もいますが、ここまで靖国参拝を外交問題化してしまった首相の責任は小さくないと思います。幕引きも、挑発的パフォーマンスで締めくくられたということですね。
 靖国問題解決のためのいくつかの代替案が自民党政治家から出ていますが、中にはかなり危険なものもあります。実現しそうにないとはいえ、靖国神社の非宗教法人化は、靖国の特別視(=神聖視)につながり、戦前に逆戻りするような考えに思えてなりません。

 8月12日の『京都新聞』朝刊が2面ぶち抜きで靖国特集をしました。政教分離・A級戦犯・中韓外交という三つのテーマに分けて、6名の専門家が論じる、という設定でした。
 私は政教分離に関して取材を受けました。私と対になっているのは、靖国参拝大賛成の所 功教授(京都産業大学教授)でした。正反対の意見を並べるのは、読者にとってはおもしろいと思います。
 ちなみに、A級戦犯のテーマを扱った一人は村田晃嗣先生(同志社大学)でした。彼はタカ派として知られていますが、今回のテーマでは靖国参拝反対で論を展開していました。

060812a  先日、伊賀の里モクモク手作りファームに出かけてきました。
 豚を使った手作り品を堪能できる場所です。豚の他に馬などの家畜もいます。子豚のショーや各種おみやげ屋さんなども充実しています。
 場所によっては、右の写真のように豚が放し飼いになっており、あちこちで草を食べたり、水浴びをしたりしています。
 雰囲気をうまく説明できないのですが、関西圏の方は一度訪れる価値があると思います。詳しくは、上記ウェブサイトをご覧ください。

060812b  当地で取れた食材をふんだんに用いたレストランでは、舌鼓を打つことができます。左の写真はバイキング専門のレストランですが、できたてのハム、ソーセージ類は他では味わうことのできないものでしょう。
 園内で見かける豚がハムやソーセージになっているかと思うと、少し不憫な気もしますが、そんなことも食べると忘れるくらいに美味です。(^_^;)

 同志社大学のネットワークシステムのリプレースにともない、8月11~17日の期間(予定)、小原克博 On-Line の「新聞・雑誌記事等」「研究内容」など文書系のページは閲覧できなくなります。本BLOGからリンクを張られている一部文書についても同様です。あらかじめご了承ください。

 最近、金城学院大学キリスト教文化研究所編『宗教・科学・いのち――新しい対話の道を求めて』(新教出版社)が出版されました。
 私も一文を寄稿しています。タイトルは「「宗教と科学」に見る近代化の諸相―進化論を中心にして」です。導入部分を読むことができます。出版されたばかりなので、続きを読みたい方は本を購入するか、図書館で借りて読んでいただきたいと思います。
 本の全体テーマの一つは「宗教と科学」なのですが、その問題設定が前提としているフレームワークを批判的に問うことを、拙稿の中では試みました。以下、そのポイントなる文章を引用しておきます。

宗教と科学の相補的な関係を問うことは、知的好奇心を鼓舞する魅力的なテーマである。しかし、その組み合わせが繰り返し語られる前提には、科学分野における西欧キリスト教世界の圧倒的な勝利宣言があるということを認識すべきであろう。この自己省察を欠いたまま、宗教と科学の関係を問うことは、結果的に、キリスト教こそ、他のすべての宗教に先立ち、またそれらを代表して、近代科学と対になり得る唯一の宗教であるという優越感と、他の宗教や文化に対する差別感情を増長させることになりかねない。
 この課題をより自覚的に受けとめていくために、本稿では宗教と科学の関係を批判的に問う事例として進化論を取り上げることにする。

060810a 夏の盛りにはサルの姿を見ることがありません。暑すぎて山の外に出れないのか、食べるものがすでに十分あるのかはわかりませんが、いずれにせよ、野菜類を強奪されずにすむので、少し安心な時期でもあります。

 さて、右の写真は、すいかの雄花を雌花にこすりつけて人工授粉しているところです。すいかの圧倒的多数の雄花と、ごく少数の雌花を咲かせます。雌花は花弁の下に、丸いふくらみがあるので、それとわかります。

060810b  左の写真は、昨日受粉させた雌花です。すいかの原型のようなものが付いているのがわかると思います。実際の大きさは、まだ1センチにも至らない、ごく小さなものです。
 サルに持って行かれないうちに、しっかりと成長することを願っています。

 ようやく採点が終わりました。これから少しは夏休みモードにはいれそうです。

 さて、Yokoさんがコメントで紹介してくださっていた『アメリカの原理主義』を読み終わりました。さすがに記者の方だけあって、最近の出来事をインタビューや統計データなどを用いて、細かく描写しています。読みやすい本です。
 アメリカ宗教史がご専門の森先生も、この本を読まれ、互いの感想を交わしました。森先生は「文章がへただな~」との第一印象を語っておられました。
 確かに、ぐいぐいと引き込んでいくような文章展開はありません。いろいろな事実を取材経験を軸にしながら、淡々と語っていっているという面はあります。しかしそれゆえに、あまり引っかかりを感じることなく読み進めていくことができる、とも言えます。

 事実の相関関係をまとめあげる肝心なところで、著者自身の言葉ではなく、その道の大家に語らせることによって、うまくすり抜けているという点が少々気になりました。概念の整理が少し弱いかなという印象を持ちました。

 ちなみに、タイトルにもなっている原理主義についての説明は、何と最終ページになって初めて出てきます。それも辞書からの引用です。やっかいな概念であることは理解できますが、もう少し手前で出して、その概念を事例を通じて吟味していくという手法を取った方がよかったのではないかとも思いました。

 また、欲を言えば、宗教右派とユダヤ・ロビーとの関係に言及して欲しかったです。宗教右派とネオコンとの関係については、かろうじて触れられています。しかし、昨今のイスラエルと取り巻く情勢においていっそう明らかになってきたように、なぜアメリカは、これほどまでイスラエルに肩入れするのかは、多くの人の関心事であると思うからです。

 ちょっと辛めの評価をしてしまったかもしれませんが、全体としては、近年のアメリカの宗教性や、それと政治との結びつきなどを生き生きと教えてくれる好著であると言えます。

 周囲の様子は、かなり夏休みモードですが、私はまだ採点の山に埋もれています。レポート類は一つ読むのにも時間を要しますし、それがどっさりあると、結構しんどいです。中には、きらりと光るようなレポートもありますので、そのようなものに出会うと救われた気持ちになります。
 最近、ようやく峠を越した感じです。
 採点作業が終われば、少しは夏らしい報告をできればいいなと思っています。

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自己紹介

近  著

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