小原On-Line

小原克博: 2009年3月アーカイブ

 このブログのサイドバー(左)にあるタグクラウドにタグを追加しました。
 主に地名のタグを追加し、これまであった「イラン」「中国」「香港」の他に、「アメリカ」「ドイツ」「イスラエル」「韓国」を追加し、またアメリカは利用の便のため、「シカゴ」「サンディエゴ」「ボストン」「ワシントンD.C.」などの地名を追加しました。

 数年前のことであっても、きちんと記録し、アクセスしやすいようにしておなかければ、あっという間に訪問先での出来事を忘れてしまいがちです。タグを設定しておけば、そのあたりの利便性があがると思い、新規にタグ設定をしました。クリック一つで、当該訪問地の記事にジャンプできるので便利です。

 タグ設定をし、ブログを開設した2004年以降を振り返ってみても、韓国、アメリカへの訪問が多いことがわかります。韓国へは1年に2度行ったりしている年もあります。

 また、記事を読み直してみると、眠さと戦いながら、その日あったことを記録した様が思い起こされます。たいていの場合、まとめて記録すると、細部が抜け落ちてしまいます。記憶の鮮度を保ちながら、生き生きと文章をまとめるためには、やはり眠くても、その日の内に書き終えてしまう必要がある、というのが私の経験から来る実感です。

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 3月28日、京都・宗教系大学院連合(K-GURS)主催の公開講演会を行いました。近年、道元を題材にした著作や歌舞伎の台本で知られている小説家の立松和平氏を講師にお招きし、「禅に学ぶ」と題して講演していただきました(私は司会)。
 立松氏は、禅の専門家ではありませんが、小説家として道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』を深く読まれ、とてもわかりやすく道元を中心に禅の世界を話してくれました。まさに道元が残した「言葉の森」に分け入るような話しぶりでした。

 禅を理解する上での重要な考え方をいくつも紹介してくださいましたが、その中でも、立松氏が「修行とは一体何なのか」という問いに対して語られ、禅の本質を言い表しているのではないかと紹介されたのが、次の言葉です。

 徧界(へんかい)曽(かつ)て蔵(かく)さず

 真理は(日常世界の)至る所に存在しており、隠されてはいない、という意味なのですが、修行とは何なのか、真理とは何なのか、ということを端的に言い表していると思いました。キリスト教に引きつけていうなら「自然神学」に隣接点をもつ考え方です。

 この講演の前日に、あろうことか偶然にも、私は道元の永平寺を訪ね、実際に修行僧の姿を見て、あれこれ考えさせられていただけに、この日の講演での一言一言が身にしみました。
 特にプロテスタントは、身体的な鍛錬を軽視する傾向にありますので(信仰義認論の影響)、禅の考え方と実践からは学ぶことが多くあるように思います。

 実は、私はドイツ留学中にクラスで『正法眼蔵』の一部をドイツ語で読みながら、禅の勉強をしたことがあり、そのことを懐かしく思い出しました。さらにいうと、座禅のための修養会に参加し、ゼミの学友たちと、ドイツの森の中で、あの阿部正雄氏から指導を受けたことがあります。
 花園大学(臨済宗妙心寺派)とヨーロッパのカトリック教会は、東西霊性交流という形で交流の歴史があるのですが、日本のプロテスタントはほとんど禅に対する関心を持っていません。そりが合わない、といってしまえば、それまでですが、身体的な鍛錬の重要性を知ることは大切だと思います。
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 福井県に出かけてきました。
 最初に訪ねたのは、恐竜博物館。福井県は、日本で発掘される恐竜のかなりの部分を占める、恐竜の産地です。この博物館には、T-Rexやステゴザウルス、トリケラトプスなど大型の人気恐竜が多数展示されていましたが、もちろん、これらは日本では発掘されず、もっぱらレプリカです。
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 日本産の恐竜として展示されていたものの一つが右の翼竜。翼はあるけど、空を飛ぶことはできない始祖鳥もどきの恐竜です。
 T-Rexなどと比べると、かわいらしい恐竜ですが、こんなのが道ばたから飛び出してきたら、腰を抜かすと思います。小さいながら迫力があります。

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 恐竜博物館のあとは、禅の曹洞宗の総本山・永平寺に行きました。Zen master 道元の寺としても有名です。
 このあたりはかなり雪深い地域で、まだ雪が残っていました。廊下や畳を歩くときは、足裏から寒さがじんじんと伝わってきました。
 同志社大学神学部を卒業後、曹洞宗の僧侶になって、今、永平寺や吉峯寺(きっぽうじ)で若手僧侶の指導にあたっている渡辺さんに永平寺をガイドしてもらいました。
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 永平寺訪問のあと、20キロほど離れた、渡辺さんが指導しているお寺・吉峯寺も訪ねました。
 吉峯寺は道元が1年間滞在した場所であり、そこで、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の前半を一気に書き上げたそうです。

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 今日は、中部学院大学・短大(岐阜県)の卒業礼拝で話(説教)をしました。
 この大学に行くのは初めてでしたが、実は岐阜駅で降りたのも初めてでした。
 中部学院大学そのものは10年ほど前にできた新しい大学ですが、ルーツとなっている学校は戦前にまでさかのぼります。戦前は神道を中心に据え、戦後、キリスト教を建学の精神に据えているというユニークな歴史を持っています。
 卒業礼拝は人数が多いため、大教室で行われました。
 右の写真は、大学のチャペル(グレース・ホール)にあるパイプオルガンです。ご立派!としか言いようがありません。
 卒業礼拝では、ハンドベル・クワイアが後奏を奏でてくださいました。人数も多く、ぴったりと息が合っていたので、かなり聞き応えのあるハンドベルでした。たまたまチャペルを見学していたときに、ハンドベル・クワイアが練習していたので、その風景を撮ったのが下の動画です。短いですが、美しい音色を聞いていただけます。



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 中部学院大学の二つのキャンパスを見学したあと、せっかくに岐阜に来たので、織田信長ゆかりの岐阜城にのぼりました。小高い山の頂上にあり、ケーブルカーで山頂まであがりました。
 山の麓では、ちらほらと桜が咲き始めており、中にはすでに満開となった桜の木もありました。いよいよ、これからという感じです。

 岐阜城からの眺めは壮観で、岐阜から名古屋にかけての一帯を一望することができました。
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 右の写真は岐阜城の天守閣から、長良川周辺を見下ろしたものです。伊勢湾に注ぐ長良川は、鵜飼いでも有名です。
 織田信長も、同じような風景を眺めたのでしょうね。

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 今日は、神学部・神学研究科の卒業式・修了式が行われました。同志社大学・大学院全体の卒業式は一度に行うことができないので、3日間に分けて行われます。すべての卒業式をインターネットのLive中継で見ることができます。京都から遠方にお住まいのご家族・ご親戚にとっては、便利なサービスであると思います。

 右の写真は、卒業式・修了式後の謝恩会でのものです。右の方は大学院に進学し、左の方は金融関係に就職されます。
 楽しくやってきた学生たちの顔を4月以降、見ることができなくなるのは寂しいことですが、彼ら・彼女たちの新しい出発を祝福したいと思います。
 東尋坊に立ち寄りました。東尋坊は、福井県の三国町にある断崖絶壁ですが、切り立ったユニークな形状から観光スポットになっています。なぜ「東尋坊」と呼ばれるのか、その由来については、下記ページをご覧ください。へー、と妙に納得させられます。


 東尋坊でデジカメ撮影した映像を YouTube にアップしました。岩に打ち寄せ、砕ける波しぶきの雰囲気を感じていただけると思います。

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 突然ですが、金沢に来ています。
 兼六園を訪ねましたが、梅がきれいでした。兼六園では、雪よけの囲いがはずされ、春の準備をしていました。
 右の写真は、金沢城公園の前で撮影したものです。

20090311_3.jpg 昨日の深夜、無事に日本に帰着しました。最終日の午前中の様子をお伝えします。
 朝9時に英華書院(Yin Wa College)を訪ねました。古い漢訳聖書がここにあるということを聞いて、よくわからないまま向かったのですが、到着してから、由緒ある学校であることを知り驚きました。
 小学校から高校までがある College なのですが、右の写真のように巨大マンションかと見間違えるような校舎です。ここでは、中国語、中国文学以外の授業はすべて英語でなされています。
 このカレッジ、ロバート・モリソン宣教師(London Missionary Society から中国に派遣され、初めて漢訳聖書を作った人物)が1818年に設立した中国最古のキリスト教主義学校です。当時、この学校はマラッカ(マレーシア)に設立されましたが、1842年に中国と英国の間で南京条約が締結された後、香港に移ってきました。
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 モリソンは、後の漢訳聖書や日本語聖書の翻訳に非常に大きな影響を与えた人物でもあり、まさかそのモリソンが作った学校が香港にあるとは、まったく知りませんでした。

 左の写真の中央に写っている胸像がモリソンです。
 わざわざ、校長先生(モリソンの右)までが我々を出迎えてくれました。
 長い伝統を持つ学校であるため、歴史資料室を持っており、そこに古い漢訳聖書も保管されています。

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 そもそも、なぜ、古い漢訳聖書を探したかというと、1864年、新島襄がボストン行きの船が寄港した先の香港で、初めて漢訳聖書を購入しているからです。現在、その聖書は現存せず、表紙の裏紙だけが残っています。したがって、1864年当時、新島襄が手にした版の漢訳聖書が香港にあればという思いで探索を続けていた次第です。
 複数巻の旧約聖書がぴったり1864年のものがありました。しかし、新島襄が購入したのは新約聖書と思われるので、その年代の新約聖書を探したのですが、見つけることができませんでした。その年代よりはるかに古い1823年のものが右の写真です。当時、英華書院が自前の出版部門を持っていたようで、この聖書は英華書院刊行となっていました。
 その後、聖書の翻訳や出版は英国聖書協会に委ねられていきますが、新島襄が1864年に購入した聖書がどのようなものなのかは、もう少し調べてみる必要があります。ひょっとすると写真と同じ1823年版であったかもしれません。
 ともかく、漢訳聖書のルーツとなるモリソンゆかりの学校で、実物の漢訳聖書を見ることができたのは、瓢箪から駒のような体験でした。

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 午後には空港に向かわなければならなかったので、学校を離れた後、急ぎ気味で、新島襄が20年後の1884年に香港を再訪した際に訪ねた場所をたどっていきました。新島は、そのあたりのことを日記に書き残しています。
 1884年の訪問時、新島は香港島のハリウッド・ロードに宿泊していました。おそらく左の写真に写っている道教の建物も彼は見たことでしょう。
 新島が訪ねた香港総督府、植物園、アメリカン・ボードのオフィス(現存せず市場になっている)、墓地を訪ねました。
 観光客が訪れないような場所も多かったため、タクシーの運転手もかなり悩んでいました。
 香港で、新島襄の歩いた跡をたどっていくというのは、まさに時代を超えた経験の共有とも言えるでしょう。125年前の情景を思い起こしながら、香港滞在の余韻を味わうことができました。
 
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 今日も猛烈に濃密な一日でした。本当にたくさんの人と会い、また、朝から晩までほとんど休むことなくしゃべり続けたのではないかと思います。

 午前中、香港中文大学(Chinese University of Hong Kong)を訪問しました。ここには、Department of Cultural & Religious Studies と Divinity School とがあります。両方の関係者と懇談の時を持ちました。私が同志社のことなどを紹介し、その後、質疑応答の時間を持ちました。この大学は、旧知の友も多いので、パーソナルな信頼関係をさらに組織的な関係に発展させていくことができればと願っています。

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 キャンパスの食堂で昼食を共にした後、長洲島にある Alliance Bible Seminary に向かいました。長洲島は香港島の港からフェリーに乗って35分のところにあります。到着してから、さらに山を徒歩で登って15分ほどのところに学校があります。観光客が多く訪ねる風光明媚な島ですが、さすがに毎日ここに通うのは大変なので、多くの学生は学校内の宿舎に住んでいるようです。
 この Alliance Bible Seminary はアライアンスというアメリカ生まれの教派の宣教師が建てた学校ですが、現在は教派的伝統にこだわらない教育を行っているとのことでした。アライアンスと聞くと保守的な印象を持つのですが、実際、この学校はそのような印象には収まりきらない、非常に進歩的な教育プログラムを持っていました。
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 特に、彼らが関心を示しているのは、CISMORの活動です。というのも、数年前、この学校も新しい研究センターを作り、そこでユダヤ教やイスラームの研究を始めているからです。その研究所にも立ち寄り、図書室なども見せてもらいましたが、かなりまじめに取り組もうとしている様子が伝わってきました。
 この学校でも、まず私がプレゼンテーションをし、その後、質疑応答の時間を持ちました。あれこれの質問が投げかけられましたが、集中して場数を踏んできたおかげか、かなり手際よく答えることができました。質疑応答をしながら、どのような点に関心を向けられるのかを知ることができるのは収穫でした。

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 ひとしきりディスカッションが終わってから、山を下り、海の前のお店で夕食を共にしました。質問され、それに答えなければならないので、食べ物をとる暇もないほどだったのですが、親切にも、どんどん、私の皿とお椀の中に入れてくれるので、しゃべっては食べ、食べてはしゃべりという感じでした。

 最後に、ホスト役の Lau 先生が学生たちに「小原先生に質問することはもうないか」と聞かれました。すると一人の学生が日本のアニメについて、かなり突っ込んだ質問をしてきて、その知識の豊富さに驚きました。Lau 先生は、たぶん神学的な質問を学生にしてほしかったのだと思いますが、かなりオタクな質問が投げかけられ、それに対し、かなりまともに答えていたので、聞いていた周囲の人は呆れていたのではないかと思います。
 しかし、香港で、「ガンダムOO」や「コード・ギアス」、「新世紀エヴァンゲリオン」の質問、しかも、かなり込み入った最終話の分析に関する質問をされるとは思いも寄りませんでした。私が、すべての質問にビシビシと答えたので、オタクな学生も感無量の様子でした。
 聞けば、香港では、日本で放送されたアニメが、数時間後には中国語の字幕付きでインターネットにあがるそうです。まあ、このあたりの事情は世界共通ですが、日本のアニメ、漫画文化のインターナショナルな強さを再認識させられた次第です。
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 今日は、漢語基督教文化研究所(Institute of Sino-Christian Studies)で共催のシンポジウムに参加しました。この研究所は、山奥にあり、香港の街中とは全く異なる静寂な雰囲気に囲まれていました。人里から隔離された修道院のような場所なのですが、そこには想像していた以上にたくさんの研究者や学生が集まっており、しかも、かなりインターナショナル色豊かな顔ぶれでした。

 朝から夕方まで、びっしりとプログラムが詰まっていたのですが、共通するテーマは「New Trend of Sino-Christian Theology」。Sino-Christian Theologyは「中華キリスト教神学」と訳すことができると思いますが、この研究所の名前から考えると「漢語キリスト教神学」と訳すべきなのかもしれません。
 いずれにせよ、Sino-Christian Theologyをめぐって数々の発表と議論がなされました。彼ら・彼女らの、新しい領域を作り出していこうとする試みには、かなり啓発されました。中国本土からの発表者も二人いましたが、やはり本土と香港とでは、キリスト教を研究する際の自由度にかなりの差があります。
 この研究所の活動は非常に活発で、(中国本土との)国内交流・国際交流が盛んなことに加えて、膨大な数の翻訳・出版を行っています。

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 最後のセッションで、私は同志社での取り組みや日本の神学について30分ほど話をしました。「日本の神学」といっても、Sino-Christian Theology に対応するものがあるわけではありません。戦時下の「日本的神学」の問題性(教会の戦争協力)に言及しながら、国家との向き合い方が戦時下の日本だけでなく、今日の中国にとっても大きな(そして困難な)課題であることを示唆しました。
 しかし、いろいろと話をしながら、やはり「日本の神学」とはいったい何なのか、中国をはじめアジアの人々に対して、どのような語り方ができるのだろうかと自問自答していました。その意味では、Sino-Christian Theology を取り巻くエネルギーに刺激を受けて、あらためて自分自身の課題を再認識させられる、よい機会となりました。

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 シンポジウムの最後には、双方でおみやげの交換をしました。右の写真で、私と握手している相手が研究所の所長の Daniel Yeung 氏です。彼とは長らくメールでのやり取りはしてきましたが、会うのは初めてでした。想像していた以上に若い方だったので驚きました。
 しかし、彼に限らず、この研究所の研究員は若い人が多く、それが活力源の源になっているようにも思いました。

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 シンポジウム終了後、車で移動し、夕食を共にしました。香港に到着してから、毎食、中華料理を食べてきたのですが、フードコートや大衆料理店ばかりだったので、今日招待されたちょっと格式ある中華料理店では、舌鼓を打ちました。同じ香港で、こんなに味に差があるとは・・・

 頭もお腹も満たされた一日でした。


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 お昼過ぎまでUnion Churchにいて、それから、九龍地区の中心部にあるモスクを訪ねました。
 写真にも写っていますが、ネイザン・ロードという一番の目抜き通りにモスクが建っているのは、なかなか壮観です。
 街中ではあまり頻繁には見かけなかったムスリムが、さすがにこのモスク周辺にはたくさんいました。

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 その後、近くで食事を済ませ、電車とバスを乗り継いで、香港島の南部にある淺水湾(チンソイワン)に出かけました。夏場はビーチになるようなきれいな場所です。
 戦時中、日本軍が香港に最初に上陸してきたのが淺水湾で、終戦まで名前が変えられていた、といったことが案内板に記されていました。
 ここには中国のいろいろな神々の像があって、まさに多神教のパラダイスといった感じです。

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 このあと、旧市街にあたる九龍城(Kowloon City)に行きました。食事の前に、街中を散策し、ふらりと市場に立ち寄りました。ここは庶民の買い物の場なのですが、目の前で、生きている魚介類(かなり大きい!)をばっさばっさとさばいていく様子には、度肝を抜かれました。
 特に、心の中で「ぎょへーー!!」と叫んでしまったのは、かえるをさばく様子です。右の写真のように、網に入れられているかえる(もちろん生きています)をおもむろに取り出し、包丁で・・・(あとは描写できません)
 「食べる」とは、こういうことなんだということを再認識させられました。ちなみに、近くには亀さんもたくさんいて、うつろな目を私の方に向けていました。
 香港の人は、空を飛ぶものは飛行機以外何でも食べ、四本足のものはテーブル以外何でも食べる、と言われるほどに、食に関してはチャレンジング精神旺盛なようです。

20090308_1.jpg 二日目の今日は日曜日なので、香港の教会の礼拝に出席することにしました。
 実は前日まで、ほとんど当てがなかったのですが、前日の土曜日、今回同行している本井康博先生(同志社史が専門)が、新島襄が1884年にUnion Churchの礼拝に出席しているとポロリと言ったところから、では、この教会に行こうとなりました。
 新島襄は、この年、休養と大学設立のための募金を兼ねて、ヨーロッパとアメリカに渡っているのですが、その途中で香港に立ち寄り、会衆派の伝統をもったこの教会を訪ねたようです。
 礼拝前に、牧師とこういった話をしたのですが、早速、礼拝の説教の中で取り上げてくださりました。
 Union Churchでの様子を YouTube にアップしましたので、関心ある方はご覧ください。


 いつものことながら、出発前は仕事を片付けるために徹夜。朝6時の電車に乗って、ふらふらの状態で空港に向かいました。
 関空から香港にダイレクトに行くのかと思いきや、関空を飛び立ってから、この便が台北(台湾)経由で行くことを知りました。到着して窓を見ると、確かに台湾の国旗(中国は国旗として認めていませんが)。
 なぜか、この時期の香港行きはかなり空いていました。というより、台北経由で香港に行く人がほとんどいないのでしょうね。

 ともかく、無事、香港に到着。香港は、3度目から4度目なのですが、いつも大学(Chinese University of Hong Kong)の宿舎などに泊まり、街中はそれほどうろうろ歩いていないので、様子を思い出すまで時間がかかりました。
 今回の旅行の目的は追々明らかにしていきますが、結構タイト・スケジュールなので、あまり観光に費やす時間はありません。
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 夕方6時頃にホテルに到着し、近くのフードコートで夕食を済ませた後、海沿いのプロムナードを歩き、途中、星光大道(Avenue of Stars)付近で、夜8時からの光のショー Symphony of lights を見ました。
 音楽に合わせて、ビル群のネオンが明滅したり、レーザービームを夜空に照らします。これは、香港ならではの名物と言えるでしょう。

 海沿いのプロムナードは、観光客にあふれ、にぎやかです。Symphony of lights や、香港が生んだ世紀の映画スター ブルース・リーの銅像の前でのヌンチャク・パフォーマンスを動画でお送ります。


 今、関西国際空港にいます。
 これから香港に出かけてきます。11日夜帰国の予定です。
 タイトなスケジュールですが、余力があれば、現地から報告したいと思います。

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 テヘラン大学(イラン)に昨年新設されたFaculty of World Studiesの学部長であるサイード・アメリー教授(右写真・中央)が、国際交流基金を介して、2月27日、同志社大学を訪問してくださいました。
 関係ありそうなメンバーでお迎えし、2時間ほどディスカッションして、今後の交流の可能性などを探りました。
 アメリー先生は、イスラームの聖職者ですが、そう感じさせないほどのモダニストでした。英語圏での教育歴が長いせいかもしれません。しかし、イランの宗教都市ゴムで10年間、聖職者としての訓練も受けているので、単にリベラルな知識人というわけでもありません。

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 オフィシャルな会合を終えた後、一行で、SHANDIZ というカスピ海料理のお店に向かいました。カスピ海料理というとイメージがわきにくいですが、実際にはイラン料理が主となっています。
 私は初めて、このお店を訪ねましたが、雰囲気も料理もよく、とりわけムスリムの方を招待するには最適のお店であると感じました。
 ケバブを久しぶりに食べました。ケバブ好きの私には、たまらない味でした。
 オバマのイラン政策など、きわどい話にも話題は飛びましたが、ざっくばらんに会話を楽しむことができました。
 何だかんだ言っても、イランの学生は、アメリカが好きなのだそうです。オバマの対話路線が、両国の緊張緩和をもたらすことを願わざるを得ません。
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自己紹介

近  著

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