小原On-Line

書籍・雑誌: 2006年1月アーカイブ

 『新約聖書への神学的入門』が完売しました。1週間ちょっとで45冊が売れました。
 やはり、新春大出血サービス価格のおかげでしょう。あれが定価で売られていれば、わたしでも買いません。(^_^;)
 私の場合、一冊2千円を超えると、買うときに躊躇します。けちくさい、ということもありますが、2千円という値段に見合った内容をもった本はそれほど多くないということを体験的に知っているからです。値段が5千円となると、かなりの勇気がいります。
 と、自分の訳した本にけちをつけてもしかたありませんが、値段を考えなければ、中身は本当によい本です。
 というわけで、ご購入いただいた方々、どうもありがとうございました。

 『新約聖書への神学的入門』送付のやり取りの中で、いくつか質問をいただきました。その一つに、なぜ組織神学者のわたしが、聖書学の本を翻訳したのか、というものがありました。

 神学になじみのない人にとっては「組織神学」という言葉自体がわかりにくと思います。神学は長い歴史を持っており、その中で、当然、体系化されたり、細分化されたりしてきました。プロテスタント神学の場合、ドイツで形作られた学問体系が現在に至るまで、影響を与えています。聖書神学歴史神学組織神学実践神学といった分類もその名残です。
 組織神学は、簡単に言えば、キリスト教の思想や教義を扱う分野になります。

 神学の内容が細分化され、それが日本でも受容されてきましたので、それぞれの分野が独立性を持ってきました。それは専門性の高さを保証すると同時に、「たこ壺」化してきた側面もあります。つまり、専門分野間の連携が失われてきた、ということです。

 欧米であれば、それでも十分に学問市場が成り立ちますが、キリスト教や神学ということすら十分に理解されていない日本で、専門性に閉じこもるのは、あまり意味がないとわたしは考えています。

 そういう思いから、わたしは組織神学をベースにしながらも、あまり専門性の違いを気にすることなく研究をしてきました。聖書学関係の本をたくさん読み、それに関心を持ち続けてきたことも、わたしにとっては「越境的」遊び心の表れです。
 遊び心ですから、本当の専門家ほど、専門的知識は持っていません。しかし、あれこれの領域を飛び歩く中で、お宝を発見する醍醐味もあります。

 そういうわけで、本来わたしの直接的な専門ではない聖書学の分野で、非常に気に入った本、その意味では、できるだけ多くの人にも読んでもらいたいと思った本に出会ったので、専門違いにもかかわらず翻訳することになった次第です。

 最初にドイツ語の原書を読んだときは、わかりやすい本だ、と思い、これなら翻訳もそれほど苦労しないだろう、と思いました。ところが、わかりやすい日本語にするためには、想像以上の苦労があり、またその分野を専門としない自信のなさもあって、結果的には、かなり(!)苦労しました。

 というわけで、『新約聖書への神学的入門』がわたしにとって、「最初」の翻訳にして、おそらく「最後」の翻訳となったのです。(^_^;)

 『新約聖書への神学的入門』の目下の売り上げ状況を簡単に報告します。神学館2階では20冊強が売れました。また、北は北海道・青森から南は九州まで、全国に15冊ほど郵送しました。ちなみに、郵送分の半分は東京都内でした。また、残部は10部ほどとなっていますので、ご希望の方はお急ぎください。
 今回、郵送のやり取りの中で、いろいろな方がこのBLOGを見てくださっていることが、あらためてわかりました。ありがたいことです。

 さて、購入者へのアフターケアーも兼ねて、この本を読むツボを簡単に説明したいと思います。
 第一章「口伝と最初の文書化」は、一言で言えば、どうやって聖書ができたのか、ということを説明しています。聖書学になじみのない人にとっては、多少難解な箇所があるかもしれませんが、気にせず読み通してみてください。聖書学の基本的な考え方を、ここで理解することができます。

 第二章以降は、聖書の各文書について説明がされていますが、聖書におさめられている順番通りではなく、著者や執筆年代ごとに、まとまりが与えられています。
 わたしがこの本の魅力の一つとして、「訳者あとがき」に書いたことを次に引用します。

 一般に書物を熟読するときには「行間」を読むということが求められる。聖書においても同様であるが、特に本書を通じて読者が知るのは聖書の「書間」を読むことの大切さ(楽しさ)であろう。自分にとって都合のよい箇所や書物だけを特別視し、解釈の(絶対的)基準にしてしまうのではなく、新約聖書の各巻の間にある差異がなぜ生まれたのかを問い、そしてそれらの差異が指し示す多様なベクトルの総和の中にこそ、イエスの生き生きとした姿(人間の恣意によって固定されない姿)を見るべきではなかろうか。本書はそういった目標のためのよい手引きとなるはずである。

 このあたりの旨みを伝えてくれる本は意外と少ないのです。したがって、新約聖書の入門書は無数にあるとはいえ、この本には類書にはない魅力があります。
 その意味では、タイトルが「新約聖書への入門」ではなく「神学的入門」となっているのは意味があります。「序論」のシュヴァイツァーの言葉から引用すると、次のようになります。

以下の叙述が一般の入門書と区別されるのは、次の点においてである。すなわち、史的問題は、新約文書の神学的に重要な表現をただ可能な限りよく認識するための根拠としてのみ役立てられるという点である。また、罪や恵みといった概念ではなく、一つひとつの文書を中心にしているという点において一般の新約聖書神学とも区別される。それはことさらに歴史的な過程の叙述でもあり、その限りにおいて、かなり控え目な試みである。その際、決して一つだけの関連する展開が考えられるのではなく、新しい手がかりや別の解決策、修正がいつも指示されている。それらは外側から見れば歴史的な偶然である。しかし、新約聖書の証言の統一性に対する問い、つまり、パウロやヤコブ書といった様々な応答が相互にどのような関係を持っているのかという問いは脈々と続いてきている。したがって少なくとも示唆されるべきことは、必然的に個人的になる決断において、著者は、教会の信仰と生活において観察される種々の緊張関係や対立を受けとめ、克服するために、どのような方向を見ていたのかということである。

 第2章以降で各文書の説明を読み進めていく際には、聖書を横に置き、指示されている箇所に目をやりながら読んでいくことをおすすめします。聖書の解説を読んで、聖書そのものを読まない、というのは、もったいないだけでなく、解説の意図を理解し損なうことにもなりかねませんので。

 本日から『新約聖書への神学的入門』(本体価格5,500円)を新春出血大サービス価格で販売を開始いたしました。価格は以下の通りです。

・同志社大学神学館2階カウンターに取りに来ていただける方:1000円
・郵送を希望される方:1500円

 郵送希望の方は、郵便番号・住所・氏名をメールにてお知らせください。申込みを受け取り次第、できるだけ早くお送りするつもりですが、時期によっては多少遅れることがあり得ることを、あらかじめご了承ください。代金の振り込み口座は、申込みメールに対する返信の中でお知らせいたします。なお、訳者サイン入りをご希望の方は、その旨お伝えください。

 

『新約聖書への神学的入門』の紹介ページに、かつて『本のひろば』に掲載された書評を追加しておきました。本書の背景などについて、きちんと論じているよい書評ですので、参考にしていただければと思います。

 今日はすでに4冊売れました(第一号はCISMOR藤田さん)。ときどき、売り上げ状況を報告したいと思います。完売の日は近い!(かな?)

You are the
 th Visitor
 since 01/07/2004.

自己紹介

近  著

2013年10月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

月別 アーカイブ