小原On-Line

神学部・神学研究科: 2006年2月アーカイブ

060212 2月10日にキム・ヒョップヤン教授によるES細胞研究に関する講演会が行われました(案内は2/4記事参照)。
 今回、わたしは司会を務め、最初に、国内におけるES細胞研究に関する経緯や、その倫理的・歴史的な位置づけについて簡単な紹介をしました。
 その後、講演の通訳をしました。少し堅めの論文を土台にしているので、あらかじめ、オリジナルの原稿に目を通しているとはいえ、わかりやすい日本語にするのは至難の業でした。自分で通訳しながら、「ここは、わかりにくいだろうな~」と思う箇所が、いくつもありました。それでも、事前に打ち合わせをして、難解な用語や議論の箇所は極力スキップするようにお願いしていました。
 とたえば、細胞における「全能性」と「多能性」の区別、なんて日本語で聞いても、普通は意味不明だと思います。細部の議論をする際には、確かに大切な概念なのですが、このレベルの用語が頻出すると、聞いてる方にめまいを引き起こしかねませんので、カットしてもらいました。

 講演の内容は、きちんと翻訳した暁に、神学部が発行している『基督教研究』に掲載することができればと考えています。ちょっと手間がかかりそうですが・・・

 「生命の尊厳」をどう理解するか、という問いが、講演内容の背骨になっていました。西欧のキリスト教や啓蒙主義の伝統から「生命の尊厳」の概念が構築されてきたが、そのままでは、東アジアの文化的土壌には適合しない、という指摘から、では何を素材にして、この問題を考えていけばよいのか、ということで、儒教の自然観や人間観が引き合いに出されてきました。

 大雑把に言うと、東アジアの共通基盤として儒教の価値観を見直そうという姿勢がありました。おそらく、韓国は、まだまだ儒教的なものの考え方が強く残っている部分がありますが、果たして、日本はどうだろうか、と考えさせられます。また、1月に講演をしてもらったチョン・ヒョンギョン先生のようなフェミニスト神学者から見れば(1月12日記事参照)、儒教的価値は家父長的遺物として、かなりネガティブな評価を与えられていますから、ただ儒教を再評価するだけでは問題解決にならないことも明らかでしょう。

 しかし、それでも一見普遍的イメージの強い「生命の尊厳」を、非西欧的な視点から、とらえ直そうとする意気込みには、学ぶべき多くの点があったように思います。少なくとも、日本社会ではES細胞研究についても、他の生命科学分野の問題にしても、パブリックな議論を引き起こすことはほとんどありませんから、問題をどのように組み立てるのかが、まず問われるべきなのでしょう。マニアックな問題として矮小化されないための工夫が必要だということです。

 質疑応答においても興味深い見解が語られていましたが、わたしが一番「おもしろい!」と思ったのは、「なぜ韓国ではES細胞研究が進んでいるのか」という質問に対する答え。
 それは、韓国人が箸を使うからだそうです。しかも、鉄の箸を使うから。そのおかげで、ミクロな細胞レベルでの核移植などに手慣れている、というわけです。冗談のような、しかし、半分本気のような、絶妙な回答でした。

 キム先生は講演会の翌日、韓国に戻られました。わたしは、来週の半ばからソウルに出かけますので、たぶん滞在中にキム先生と再会することになると思います。
 東アジアを舞台にした、宗教と科学の研究ネットワークを作ろう、という荒唐無稽な話しを始めています。

■京都新聞 記事

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006021000203&ge

 下記のように2月10日に公開講演会を予定しています。都合のつく方は、ぜひご参加ください。
 客員研究員として京都に滞在中のキム先生は、2月中旬には韓国に帰られるので、その前にと思い、急遽思い立って企画した講演会です。したがって、ほとんど宣伝もできていませんので、ご関心ある方々のご来場をお待ちしています。
 かなり急なこともあり、また予算的なこともあって、わたしは司会兼通訳をします。冷静に考えてみると、けっこうハードワークですね。(^_^;)
 講演は英語、質疑応答はハングルの予定です。質疑応答の通訳は、韓国人留学生の方に頼んでいます。

■同志社大学 神学部・神学研究科 公開講演会

日 時: 2006年2月10日(金)午後1時30分~3時30分
場 所: 同志社大学 今出川校地 神学館礼拝堂
テーマ: ES細胞論争と生命の尊厳――東アジア・キリスト教の視点から

 2006 年1月に明らかになった、韓国におけるES細胞研究のデータねつ造事件は世界中の注目を集めました。また、2004年の米国大統領選挙では、ES細胞研究の是非をめぐって、米国社会全体を巻き込む激しい議論が交わされました。ところで日本では、京都を中心としてES細胞研究が着々と進展していますが、その倫理的な問題については、ほとんど一般の関心を引くことはありませんでした。
  今あらためて、21世紀の生命科学の最先端を担っているES細胞研究において問うべき課題を、「生命の尊厳」などの基本概念を振り返りながら、共に考えてみたいと思います。

●講 師
キム・ヒョップヤン (韓国・カンナム大学教授)

●プログラム
司会:小原克博(同志社大学神学部教授)
[講  演] キム・ヒョップヤン
[コメント] 関谷直人(同志社大学神学部助教授)
[質疑応答]

●通訳あり、入場無料、事前申込不要

●主 催
同志社大学 神学部・神学研究科

●講師略歴
韓国・ソウル大学卒業後、米・プリンストン神学校からM.Div.およびTh.M.の学位、米・神学大学院連合(GTU)からPh.D.の学位を取得。宗教間対話を通じてアジアの神学を構築することや、キリスト教神学とアジアの諸宗教と科学の間の学際的な研究を進めることに関心を向けてきた。組織神学者。著作に『王陽明とカール・バルト――儒教とキリスト教の対話』(1996年)、『キリストとタオ(道)』(2003年)(いずれも英文)などがある。

You are the
 th Visitor
 since 01/07/2004.

自己紹介

近  著

2013年10月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

神学部・神学研究科: 2013年8月: 月別アーカイブ

月別 アーカイブ