小原On-Line

同志社大学: 2006年4月アーカイブ

060415 『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(明石書店、2006年)の中の尹東柱(ユンドンジュ)をテーマとしたコラムに、私が撮影した尹東柱詩碑の写真が掲載され、一冊本をいただきました。
 その写真はこのBLOGで公開されたもので(→2005年2月15日記事参照)、それに目をとめられた明石書店の方がオリジナルの画像データを求められたという次第です。
 実は、このBLOGに載せた写真が書籍に掲載された例は他にもあります(イスラエルのシナゴーグ写真)。

 写真はともかくとして、右のコラムは尹東柱のよい紹介となっています。
 この本全体が、歴史教科書として非常に読みやすく構成されています。在日コリアンの歴史は、言うまでもなく、日本の植民地主義政策と深い関係を持っており、そこから第1章は始まっています。
 日本近代史を、在日コリアンの視点から見直すことができるという点でも、多くの人に読んでもらいたい内容を備えています。

 今日は1・2回生向けの講義科目で、登録者数が予定していた教室のキャパシティを越えたため、急遽、教室変更しました。かなり混乱しながらも280名ほどの学生が教室に入り、その後、出席確認のために出席票を一人一枚ずつ取るように念押しして回しました。
 途中で出席票がなくなったので、追加し、合計350枚の出席票を回したのですが、それが全部なくなり、足りない人がなお30人ほどいました。つまり、250名の学生が350枚の出席票をとったことになります。
 このあとにあった会議で、M先生にこの件を話すと「そりゃ~、学生を信じたらあかんで~」と一言。

 これほどの出席票が消え去ったのは、想定外の出来事で、ちょっとショックでした。
 最後にオチを。
 この授業、何を隠そう、同志社の「建学の精神」を教える同志社科目でした。新島襄がこの様子を見たら、泣きますね。

我が校の門をくぐりたるものは、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、教育家になるもよし、文学者になるもよし。少々角あるも可。気骨あるも可。
たかだか優柔不断にして安逸をむさぼり、いやしくも姑息の計をなすがごとき軟骨漢には決してならぬこと。これ予の切に望み、ひとえに願うところなり。
        新島 襄『片鱗集』より

 次の授業の時は、この新島の言葉を学生諸君にプレゼントしたいと思っています。

 小原克博 On-Line に「チャペルアワー案内」の「聖書のことば」を掲載しました。きわめて短い文章なので、こちらにも載せておきます。

 聖書の言葉は、イエスによる「神の国」のたとえ話の一つ。当時の宗教家たちは「神の国」について神学的、形而上学的に議論を戦わせていました。そんな「神の国」論議に対する痛烈な皮肉も、このイエスのたとえには含まれています。
 「もっと、足下見てみぃや~」というイエスの声が聞こえてきそうな箇所です。

(以下、「チャペルアワー案内」より引用)

神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。(マルコによる福音書4章26―27節)

 私は野菜や果樹を作ることを趣味にしているが、よい収穫のためには土作りを欠かすことができない。化学肥料は実を大きくしたりする上で確かに速効性がある。しかし、長い目で見ると、土全体を貧弱にしてしまう場合が多い。私はコンポストで生ゴミ等をたい肥にして、オリジナル・ブレンドの土作りを楽しんでいるが、土が自ずと実を結ばせる不思議にはいつも新鮮な驚きを与えられる。

 人を育てるにも「土」にあたるものが大事だ。速効性ある教育は今の流行であるかもしれないが、右の聖書のことばから何を聞くべきか。私は十年、五十年という年月が経って、その実りを驚きをもって味わうことができるような「土」作りに携わりたいと願っている。

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