小原On-Line

旅行・地域: 2006年2月アーカイブ

060223 韓国旅行の2日目午前中にはヨンセイ大学を訪問しました。
 右の写真は、ユン・ドンジュの詩碑です。彼は1945年2月16日に、福岡刑務所で獄死しています。ちょうど没後61周年の時期であり、詩碑の前にはたくさんの花束が捧げられていました。
 見えにくいですが、詩碑の上の黒い石版にはハングルで彼の詩が記されています。同志社の詩碑(関連記事→2005.02.132006.01.12)と同様、有名な「序詩」が記されています(詩碑の大きさは、ヨンセイの方が同志社よりはるかに大きいです)。

死ぬ日まで 天を仰ぎ
一点の恥ずることなきを、
葉あいを 縫いそよぐ風にも
わたしは 心痛めた。
星を うたう心で
すべて 死にゆくものたちを愛しまねば
そして わたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今宵も 星が 風に ―― むせび泣く。

1941.11.20

 この詩が書かれたのは65年近く前。ちなみに、日付は11月20日と、おぼえやすいです(わたしの誕生日(^_^;))。

 この詩に謳われているような、鮮烈で瑞々しい感性を持ち続けたいと思います。

060222 熱は下がり、かなり回復してきました。もう少し休みたいところですが、仕事が山積みで今日も朝から夕方まで、びっしりと用事が詰まっていました。

 先週の韓国滞在の記憶も放っておくと、忘却の彼方へと行ってしまいそうなので、少しずつ記していきたいと思います。

 初日のメインイベントは、ソウルにあるメソジスト神学大学(学生数1500人)でのシンポジウムに参加することでした。この大学と同志社大学神学部は学術交流協定を取り交わしています。

 同志社側からは、越後屋先生(旧約聖書学)が、イスラエルにおける考古学の発掘調査から始まり、聖書のテキストとコンテキスト(この場合、歴史的な事実関係)の矛盾相克にどう向き合うかについて話してくださいました。もともと、解釈者が(自らのコンテキストにおいて)自由に解釈することを許容するポストモダン的な聖書研究からスタートし、なぜ考古学へと向かったのかを語る、ある意味で、越後屋先生の思考の変遷史でもありました。

 非常によい話であったので、『基督教研究』に掲載する予定です。

 それに対し、メソジスト神学大学の講演者は、オーソドックスな立場からの発表で、教会での語りも、研究者としての語りも完全に一致する、という、まさに葛藤なき立場を示されました。これでは、おもしろくありません(失礼!)。

 わたしは辛口の質問を投げかけましたが、少し応用度が高すぎたのか、まったくかみ合う答えを得ることはできませんでした。しかし、韓国の聖書学のスタンダードな姿の一端を見ることができた点では収穫であったと思います。

 アンニョンハセヨ!
 本日の朝、ソウルに出発します。家を出るのは、何と朝の5時半! 今頃、パソコンで遊んでいてはいけませんね。
 今回のメインは、メソジスト神学大学でのシンポジウムに参加することです。日韓の聖書学の現状をテーマにします。
 今回の韓国出張は短期なので、パソコンは持って行きません。たまにはパソコンやメールから解放される時をもたないといけませんので・・・
 というわけで、韓国報告は、帰国後の土曜日にまとめて行いたいと思います。

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