小原On-Line

CISMOR: 2010年10月アーカイブ

20101026_1.jpg 10月26日(火)、アメリカに本部をもつ International Institute of Islamic Thought (IIIT) から二人の方が CISMOR を訪ねてくださいました。東京で用事があったらしいのですが、京都に来て、京大のアジア・アフリカ地域研究科訪問のあと、CISMOR に立ち寄ってくださいました。
 イスラームの専門の先生方によれば、IIITは世界各地に支部をもち、かなり有名な組織らしいです。IIITが出している出版物を多数いただきましたが、内容的に非常にしっかりしており、研究レベルの高さ、関係している人材の豊富さをうかがい知ることができました。
 私が同志社やCISMORのことを紹介しましたが、一神教研究と日本文化・日本宗教との関係にも力を入れていると語ると、大きな関心を示されました。
 右写真のように、CISMORの出版物のうち、英語・アラビア語で書かれたものをテーブルに並べ、これまでやってきたことを紹介しました。イスラーム世界と幅広いネットワークを持っていることに驚いておられました。
20101026_2.jpg
 私はイスラーム研究の細部のことはわかりませんので、中田先生、サミール先生にも同席していただき、時折、助け船を出してもらいました。1時間弱、歓談の時をもつことができました。
 IIITは非常にしっかりとした組織であることがわかりましたので、今後、具体的な共同プロジェクトを行うことができればと思った次第です。
 アメリカにある組織であるだけに、他宗教との対話に特に力を入れており、また、リベラルな研究方針を持っているようなので、つきあいやすい印象を受けました。
20101023.jpg 10月23日(土)、森本あんり先生(国際基督教大学)を講師として、CISMOR公開講演会「寛容論の中世的本義と現代的誤解―アメリカ・ピューリタニズムの歴史から」を開催しました。
 最初にいただいていた講演要旨は以下の通り。

「イスラム的寛容」をめぐる議論がしばしば聞かれるが、初期アメリカの歴史を振り返ると、問題の構成に注目すべき平行関係があることがわかる。本講演では、しばしば不寛容な一神教の代名詞のように扱われるピューリタニズムを取り上げ、彼らの論理をその本来的な文脈に沿って理解することで、現代的な寛容論の再考と批判への有効な視座を得ることを目指したい。

 いずれ講演の録画映像もCISMORの公開講演会のページにアップされますが、関心ある方のために当日配布されたレジュメをつけておきます。

■10月23日講演レジュメ Morimoto.pdf

 ピューリタンの歴史をひもときながら、現代の理解とは異なる寛容論の起源を問うていく内容は、緻密で説得力のあるものでした。現代社会において「寛容は大切だ」というと、寛容は各人が備えるべき「美徳」のような位置づけになっています。しかし、寛容論の起源においては、むしろ、より大きな悪をもたらさないために小さな悪(それがユダヤ教やイスラームでもあったわけです) を受け入れる、比較考量の上の「実利」としての側面を持っていたということです。「寛容」という考え方の背景にある歴史的な幅を理解することは、とても重要であると思いました。
 現代の平均的理解から判断すれば、バプテストやクェーカーたちを積極的に受け入れようとしなかったピューリタンたち(会衆派が中心)はきわめて「不寛容」ということになりますが、当時の時代状況の中で、独自の寛容理解を持っていたことがわかりました。
 一つの中心的な価値体系の中に他者を位置づけるピューリタン的寛容のあり方は、イスラーム社会におけるユダヤ教徒・キリスト教徒の位置づけのあり方と、構造的に類似しているのではないか、という問題提起もありました。

 講演会のあとの研究会では、かなり専門的なレベルでの討論が交わされ、レベルの高い知的刺激を受けることができました。
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