小原On-Line

CISMOR: 2004年10月アーカイブ

 10月30日の講演会の中でも言及したのですが、民主党の「憲法提言中間報告」の取り扱いには大きな問題があります。まずは、レジュメの一部をご覧ください。

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2)民主党「憲法提言中間報告」(2004年6月22日)
 I. 文明史的転換に対応する創憲を 2.未来を展望し、前に向かって進む
(6月22日発表時の文章)
そして第4に、人間と人間の多様で自由な結びつきを重視し、さまざまなコミュニティの存在に基調を据えた社会は、異質な価値観に対しても開かれた、「寛容な多文化社会」をめざすものでなくてはいけない。これもまた、<一神教的な>唯一の正義を振りかざすのではなく、多様性を受容する文化という点においては、日本社会に根付いた<多神教的>な価値観を大いに生かすことができるものである。

(いつの間にか、次のように書き換えられている)
そして第4に、人間と人間の多様で自由な結びつきを重視し、さまざまなコミュニティの存在に基礎を据えた社会は、異質な価値観に対しても開かれた、「寛容な多文化社会」をめざすものでなくてはいけない。これもまた、唯一の正義を振りかざすのではなく、多様性を受容する文化という点においては、進取の気風に満ち、日本社会に根付いた文化融合型の価値観を大 いに生かすことができるものである。
http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/BOX_SG0058.html
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 6月22日発表時には上のように、「一神教的」「多神教的」という文言があったのですが、それが、いつの間にか削除され、書き換えられています。
 改訂の履歴があれば、こうした修正も「改訂」として許容されるでしょう。しかし、何の改訂歴もなく、こっそりと書き換えてしまうことは、「改ざん」と言わざるを得ません。
 この件について、民主党に尋ねたものの、何の回答もなし。憲法のあり方を語ろうとしている政党の姿勢としては、きわめて信頼を損なう行為であると思います。
 みなさん、どう思われるでしょうか。

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 本日、21世紀COEプログラム公開講演会「一神教と多神教――新たな文明の対話を目指して」が同志社大学で行われました。
 中沢新一氏(中央大学教授)が「一神教と多神教――グローバル経済の謎」と題して講演をし、わたしが「多神教からの一神教批判に応える――文明の相互理解の指標を求めて」と題して講演をしました。その後、司会の森孝一先生を交えて、パネルディスカッションをし、最後にフロアーからの質問に答えました。
 わたしの講演レジュメは下のリンクからご覧いただけます。
 350名くらいの来場者がありました。
 来場者へのアンケートから見る限り、かなり満足していただけたようで、時間が短すぎるとか、パネルディスカッションをもっと長くしてほしい、といった要望もありました。時間は2時間半だったのですが、3時間くらい必要だったのかもしれません。いずれにせよ、こうした要望が出るのは、ありがたい限りです。

 講演会終了後、会場を変えて、中沢先生を囲んでの研究会を行いました。
 本で書かれてるいる主張とは異なる本音のような意見を聞けたのは収穫でした。
 「一神教と多神教」という設定に潜む問題の指摘だけでなく、同様の価値の対立が他の国々でどのような形で現れているのか、特にインドの例などを取り上げて、刺激的な議論が交わされました。
 これらの成果も、なるべく早い内にCISMORのウェブサイトに掲載できればと思っています。
 なお、録画ビデオなどをご覧になりたい方は、CISMORの事務局までお申し込みください(E-mail: staff@cismor.jp、tel: 075-251-3972)。

■「多神教からの一神教批判に応える――文明の相互理解の指標を求めて」
http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/works.nsf/
626e6035eadbb4cd85256499006b15a6/04eed22fb0a285b249256f3d00513090?OpenDocument

 今週土曜日に予定されている21世紀COEプログラム公開講演会「一神教と多神教――新たな文明の対話を目指して」の講演要旨を、特別に「KOHARA BLOG」読者の方々にお知らせいたします。これは当日配布の資料に掲載されるものです。
 「講演要旨」ですから、当然、講演の内容ができあがっているのだろう、と思うかもしれませんが、少なくとも、わたしに関しては、かなり怪しいです。(^_^;) どのあたりにポイントを持ってくるべきか、模索中・・・
 多数の方々のご来場をお待ちしています。

◎「一神教と多神教―グローバル経済の謎」

中沢新一(中央大学総合政策学部教授)

 「一神教」も「多神教」も、近代につくられた概念にすぎない。それはおおいに杜撰な概念で、それぞれの宗教の実態には正確に対応していない。絶対的な「一神教」も絶対的な「多神教」も、「トーテミズム」や「アニミズム」と同じように、実在しないのである。「多神教」と呼ばれている宗教的体系にはかならずや「一神教」の要素が含まれているし、純粋な「一神教」と呼ばれるユダヤ教やイスラム教の内部には、隠れた「多神教」の構造が潜伏しており、それによってあらゆる持続的宗教は人類の心の構造と調和してきたのであった。しかし、キリスト教のおこなった「一神教」の内部への「多神教」の組み込みは、まったくユニークなものであった。キリスト教は他の「アブラハムの宗教」には見られないやり方で、「多神教」構造をシステマティックな三位一体構造に組み込むことによって、古い「多神教」を没落解体させることができたのである。その意味では、「アブラハムの宗教」のなかでは、ただキリスト教のみが、古いタイプの「多神教」を滅ぼすことができたのだとも言える。
 それゆえいわゆる「一神教」と「多神教」との対立という構図は、宗教の表層的理解のレベルでのみ機能する一種の「ねつ造された概念」の類にすぎないとも言えるが、その思考構造が経済活動の領域で作動を開始するや、そこには表層的「一神教」の思考構造をもつ、西欧型資本主義の経済システムが発達する可能性が開かれる。その意味では、資本主義とキリスト教的「一神教」(表層における)は、同型の構造を持つことになる。マルクスの語ったこととは反対に、経済とは宗教の別形態にほかならない。われわれは思考を逆転させ、あらゆる人間的諸活動を貫く新しい思考形態を開いていくことができなければならない。この講演では、そのような「来るべき思考」のための輪郭を描き出す作業をおこなってみたい。  


◎「多神教からの一神教批判に応える――文明の相互理解の指標を求めて」

小原克博(同志社大学神学部教授)

 近年、「一神教と多神教」という対比関係が日本の論壇で頻繁に取り上げられている。最初に、その一部を紹介しながら、こうした問題設定に共通して見られる傾向を批判的に検証したい。これらのメッセージの多くは、多神教の世界貢献といった華々しい表現とは裏腹に、非常に内向きで自己完結的な特徴を有している。一神教か多神教かという二者択一は、先を見通すことのできない世界に住むわれわれに、「わかりやすさ」という快感を与えるかもしれない。しかし、これは逃避的な快感ではないか。果たして、この日本的メッセージは世界に通用するのであろうか。むしろ、こうしたメッセージは誤解・偏見を助長しているのではないか。
 宗教学や神学の視点から、一神教と多神教という概念を整理し、一神教と多神教を二元論的な排他関係に置くことがあまり意味を持たないこと、そして、一神教における神理解(唯一神信仰)に対置されるべきは、歴史的には「偶像崇拝」であったことを指摘する。同時に、偶像崇拝が現代世界において持っている新たな次元を示唆する。これは、テロなどの「直接的暴力」を生み出す温床としての「構造的暴力」と深い関わりがある。
 また、多神教が日本やアジアにおいて、どのような役割を果たしてきたのかを、神道の例をあげて考察する。神道は、仏教とともに、日本の多神教を代表する存在として言及されるが、他宗教、異文化に対する神道の「寛容」の程度を確認したい。
 最後に、現代世界の錯綜する問題を洞察する視点として「一神教と多神教」という問題設定があまり有効でないとすれば、何が見るべき思考軸であるのかを考える。個別宗教・国家の次元で考えれば、それは穏健派(リベラル派)と急進派(原理主義者)との戦い、あるいは、多様性の容認か、一つの強固な価値か、という価値観(世界観)の争いに見ることができる。また文明論的な視点から見るなら、オリエンタリズムとオクシデンタリズムが生み出すイメージのすれ違い、一方向からのイメージの氾濫・増殖の中に問題を指摘することができるだろう。

 11月13日~14日に第1回「一神教聖職者交流会議」が行われます。全部で4つのセッションがあるのですが、その第1セッションを公開講演会としてオープンにしています。
 最近になってようやく発表者タイトルが出そろい(一番遅かったのは、わたしでした (^_^;))、まだ日本語への翻訳をしている最中なのですが、とりあえず、できている部分だけでもお知らせいたします。
 今年度のCISMORの目玉企画ですので、けっこう楽しんでいただけると思います。アメリカから、ユダヤ教・キリスト教・イスラームおよび仏教の聖職者8名をお招きします。


21世紀COEプログラム 公開講演会
一神教聖職者交流会議オープニング・セッション
「現代アメリカのユダヤ教・キリスト教・イスラームが直面する諸問題」

■日時:2004年11月13日(土)12:00-14:30
■場所:同志社大学 今出川校地 寒梅館ハーディーホール

◎司会: 森 孝一 (同志社大学神学部・神学研究科)

◎発表者:
1.小原克博(同志社大学神学部・神学研究科)
 「逆光の被写体――日本社会における一神教のイメージ」
2.クラーク・ローベンシュタイン(ワシントンDCメトロポリタン宗教対話協議会)
 「宗教間対話への要請」
3.ミラ・ワッサーマン(インディアナ・ベツ・シャローム ユダヤ共同体)
 「選ばれし者の選択:米国ユダヤ人の挑戦」
4.マハ・エルジェナイディー(カリフォルニア イスラームネットワークグループ)
 「米国の公的領域でイスラームを語る」

◎コメンテーター:
1.ロン・シダー(ペンシルバニア・「社会的行動のための福音派」、イースタン神学校)
2.アミール・アルイスラム(ニューヨーク・メドガーエヴァンズ大学)
3.今井亮徳(カリフォルニア・東本願寺)

※入場無料、事前申し込み不要、同時通訳あり

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 昨日、CISMORの「アメリカのグローバル戦略と一神教世界」研究会が同志社大学の寒梅館で行われました。
 上の写真は寒梅館6階会議室での様子を写したものですが、なかなかよい雰囲気の会議室でした。
 今回のテーマは、イスラエル・パレスチナ問題で、以下のような発表・コメントがあり、それに続いて長時間のディスカッションが行われました。

1. 「パレスティナ・アイデンティティーと政治」
北澤義之(京都産業大学外国語学部 教授)
2. 「現代ユダヤ教とイスラエル・パレスティナ問題」
勝又直也(京都大学大学院 人間・環境学研究科 助教授)

コメンテーター
1. 宮坂直史(防衛大学校国際関係学科 助教授)
2. 田原牧(東京新聞特報部記者)

 イスラエル・パレスチナ問題を解決するために、宗教的なファクターがどの程度関与しているのかが、一つの焦点になりましたが、パレスチナ人のアイデンティティ一つ取っても、あまりに複雑で、簡単に答えの出る問題ではないことがあらためて、わかりました。
 しかし、少しでも解決の糸口を探る努力は続けていかなければならないと、同時に感じた次第です。

 参加者は、国際政治学や地域研究のトップレベルの人ばかりですので、議論は白熱し、楽しむことができました。
 上の写真で、わたしの右隣に座ってマイクを握っているのは、アルジャジーラの東京支局長です。さすがに、彼はメディアが果たす影響力の大きさを、繰り返し語っていました。

 こうした研究会の速報や発表要旨などは、CISMORブログでお知らせしていきます。今回の研究会の写真も掲載していますので、ご覧ください。

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